アオ子のそそられ日記

匂い、あらすじ、見た目、あらゆるものにそそられて。

155回 芥川賞・直木賞 の受賞作発表と、文学賞への願い

そそりメモ No.24 : 2016年上半期 芥川賞直木賞


2016年7月19日に選考会が開かれて、
先日第155回目の芥川賞直木賞の受賞作が発表されました。


いつもそんなに気にしないのですが、今回の受賞作はどちらも気になったので、簡単に自分用に残しておきたいと思います。


第155回 芥川賞
「コンビニ人間」 村田沙耶香

コンビニ人間 (文春e-book)

コンビニ人間 (文春e-book)

(Amazon 作品紹介より引用)

36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、
変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。
日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、
清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、
毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、
私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。

ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は
「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが……。

現代の実存を問い、
正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説


第155回 直木賞
「海の見える理髪店」 萩原浩

海の見える理髪店

海の見える理髪店

(Amazon 作品紹介より引用)

主の腕に惚れた大物俳優や政財界の名士が通いつめた伝説の床屋。ある事情からその店に最初で最後の予約を入れた僕と店主との特別な時間が始まる「海の見える理髪店」。意識を押しつける画家の母から必死に逃れて16年。理由あって懐かしい町に帰った私と母との思いもよらない再会を描く「いつか来た道」。仕事ばかりの夫と口うるさい義母に反発。子連れで実家に帰った祥子のもとに、その晩から不思議なメールが届き始める「遠くから来た手紙」。親の離婚で母の実家に連れられてきた茜は、家出をして海を目指す「空は今日もスカイ」。父の形見を修理するために足を運んだ時計屋で、忘れていた父との思い出の断片が次々によみがえる「時のない時計」。数年前に中学生の娘が急逝。悲嘆に暮れる日々を過ごしてきた夫婦が娘に代わり、成人式に替え玉出席しようと奮闘する「成人式」。伝えられなかった言葉。忘れられない後悔。もしも「あの時」に戻ることができたら……。誰の人生にも必ず訪れる、喪失の悲しみとその先に灯る小さな光が胸に染みる家族小説集


芥川賞とはいわゆる純文学に対して与えられる賞で、直木賞は大衆文芸作品に対しての文学賞です。

新人のみならず主に実力のある中堅作家までを対象としていて、さらに大衆的・商業的な面において娯楽性に富んでいる分、直木賞作品のほうが読みやすい作品が多いように感じます。


一方で芥川賞作品は、単行本化されていない新進作家の短編・中編且つ純文学であることが条件…形式美または芸術性に重きをおいた作品群なので、短編ゆえにこそ著者の個性が凝縮され、ページ数はそんなに多くなくとも、時には読む人を選ぶような作品が多い印象です。


今回の受賞作はまだ未読ではありますが、あらすじや紹介文を読んだところで、まさに両作品とも賞傾向が顕著な作品だなという感じがします。
すでにワイドショーやネットニュースでは村田氏のその独特な世界観について、大きく報道しています。昨年の上半期に芥川賞を受賞した「スクラップ・アンド・ビルド」の羽田圭介氏のように、キャラクターの立つ作家としてメディアへの露出が増えるのではないかと予感せざるをえません。(と同時にそれを期待しています)
「殺人シーンを書くのが喜び」“クレイジー”と呼ばれる芥川賞作家・村田沙耶香の肖像(てれびのスキマ) - 個人 - Yahoo!ニュース


最近は、久しぶりに読書意欲が増していて、この勢いにのって両作品とも読破したいなと思っています。
ちゃんと読めたら改めて感想を書き残したいです。



さて、ここからは別のお話です。

わたしの人生において、芥川賞直木賞を受賞した印象的な作品として、忘れもしない第130回の2003年下半期の両受賞作品が挙げられます。

小学生時代は動物が出てくる本(椋鳩十作品やシートン動物記など)に傾倒していたわたしは、もちろん他の作品も読んでいましたが、2003年の下半期受賞作を読んだことは、あらゆるジャンルの本への興味を抱く大きな1歩でした。


第130回芥川賞は「蛇にピアス(金原ひとみ)」と歴代最年少受賞の「蹴りたい背中(綿矢りさ)」です。

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

最年少受賞での「蹴りたい背中」はかなり世間を騒がせていたので、第130回についてはとてもよく覚えています。
両作とも読みましたが、単行本化されて真っ先に母が買ってきたのは「蛇にピアス」でした。

舌が二つに分かれていて、刺青だらけの男が出てきます。
わたしにとっては未知なる世界の入り口というか、知っちゃいけないような知りたいような、ゾワゾワする少し恐ろしい感じ、ドキドキする感覚。
自分は読んではいけないのではないか?という後ろめたさと、それでも読みたい好奇心に駆られて、痛いところは目をつむりつつも、結局最後まで読んでしまいました。
読後に親から「おもしろかった?」と聞かれたことを覚えています。「お母さんはダメだった」と付け加えて。わたしがなんて答えたかは忘れてしまいました。
母はたぶん苦手な部類だったのでしょう、そして当の本人は気にしていませんが、過激なシーンも多いのであまり中学生の娘には読ませたくなかったのかもしれません。
今でも思いますが、面白かった、とは思いませんでした。どちらといえば苦手だし。すきではないし。それでも印象強さで言えば、かなり強烈でした。もう内容も結末もあまり覚えていないのに感覚だけは覚えています。

その後「蛇にピアス」は故・蜷川幸雄氏を監督に映画化されています。主演は吉高由里子。弱冠19歳の新人女優が初のヌードに挑戦していること、演技力の高さなどが当時話題になりました。

蛇にピアス [DVD]

蛇にピアス [DVD]

出演者も豪華なので気にはなっているのですが、本を読んだときの感覚がまとわりついて、視覚化されてしまうと尚のこと見れないかもしれないと思いましてまだ未鑑賞。見たいとは思っているのですが。R-18は良くても、R-15が苦手なのはいくつになっても変わらず…。痛々しいのが本当にダメなんです…。


そして、
130回直木賞は「号泣する準備はできていた(江國香織)」と「後巷説百物語(京極夏彦)」です。

号泣する準備はできていた (新潮文庫)

号泣する準備はできていた (新潮文庫)

後巷説百物語 (角川文庫)

後巷説百物語 (角川文庫)


「神様のボート」が江國ワールドに引きずり込まれたきっかけ(想いは寄せては引いていく波のように。 - アオ子のそそられ日記)ならば、「号泣する準備はできていた」は江國香織氏の存在を知るきっかけになった作品です。
この作品については直木賞受賞でまた作品が知れ渡ったことで、賛否両論かなり感想も割れています。
個人的には江國香織らしさ満載だなあという作品です。

砂糖がサラサラとティースプーンからこぼれ落ちるような、さらりと流れ落ちるようなところ。短編集であっさりと読み終えてしまうところ。はっきり言って、何が言いたいのかわからないところ。

名前に掛けるつもりはないですが、江國香織氏の作品はいつでもその「かおり」を漂わせます。イメージとしては……生花。お花屋さんでムッと充満する匂い。花束から漂う香り。水がなくなれば枯れてしまう危うさ。芳しくも香水とは違う。
完全に感覚的なニュアンスですが、わたしにとって江國ワールドとはそんな存在で、故に「号泣する準備はできていた」もまたそんな作品だと思っています。

ただ一番すきなのは、やはりその後に読んだ「神様のボート」です。
京極夏彦氏の作品はまだ読めていないので割愛します。


芥川賞の「蛇にピアス」と対比で直木賞の「号泣する準備はできていた」を読んだからでしょうか。なおさらに、わたしは当時ぐんぐんと江國香織作品に惹かれるように、読む本を広げていったのでした。
これで「蛇にピアス」に感化されていたら、また違った道に進んでいた可能性もあります。もしくはそのときに京極夏彦氏の妖怪の世界に触れていたなら?まだ幼かったわたしは、何かいまとは違っていたかもしれません。(もしかしたら何も変わらないかもしれません)

その後の芥川賞直木賞の作品を隅まで読んでいるかといえばそんなに追ってはいないのですが、とても間口の広い、大きな入り口には違いありません。

なんにせよ、文学賞とは、読書への好奇心をより深く掘り下げてくれるキッカケにしてはとても充分すぎる存在です。
受賞作品だからといって万人に受けるわけでもないこと、また逆に読むまでは知りもしなかった世界や表現を知ってしまう可能性も。


昨年の2015年上半期芥川賞の「火花(又吉直樹)」のような一大旋風もまた、多くの人に、例えば小学生とか中学生が手に取ってかつてのわたしのように、一歩でも本の世界に足を踏み入れていたらなあと願っています。



芥川賞直木賞も、その栄誉を称えると共に、

よくあるバカ正直でストレートな読書のキッカケで、そういつまでもあってほしいと思います。


火花

火花