アオ子のそそられ日記

匂い、あらすじ、見た目、あらゆるものにそそられて。

おやすみ前に「何者」と向き合う夜


こんばんは、アオ子です。
日付け的には今日から、感覚的には明日から3連休の予定で、夜ふかしをしています。


もうすっかりあたたかくなって、春を飛び越えて夏の勢いも感じさせる天気予報に驚いています。
部屋着も薄い生地にチェンジしました。
それでも少し肌寒いときは、パーカーを簡単に羽織ればなんとかなってしまう程度に夜もあたたかくて。
例年こんなに一気に気温が上昇するもんだったかな?と去年の記憶さえもあいまいです。




さて今晩はどうにも寝る気分になれなくて、だけれどもテレビの音も煩わしくて。
最近お気に入りのエド・シーランの曲を小さく流しながら本を読んでいました。

ベッドに転がって読んでいたのですが、日付けが変わった頃に飲み会終わりの彼氏が帰宅して、すぐに睡眠モードに突入したので、明るいところへ移動してきました。

ちょっと見た目はよくないですが、キッチン近くのフローリングに座り込んでほうじ茶を飲んでいます。

うちはコーヒーしかなかったのですが、つい先日やっとほうじ茶を導入しました。
コーヒードリップ用に購入したガラスポットは、キャップに櫛歯がついているので、茶漉しができることを知っていたのですが茶葉を買うタイミングを逃していました。
朝夕に毎日コーヒーを飲んでいますが、口さみしい夜にコーヒーを飲むには抵抗があって、今まではごまかしてきました。
ほうじ茶のおかげでこれからは思う存分寝る前に飲めそうです。
そのうち紅茶もいろいろ試してみたいです。



今読んでいる本は、少し前に買ってから積ん読していた朝井リョウの「何者」です。
昨年の10月に映画版は鑑賞済みです。

あのとき抱いた恐怖感を、怖いもの見たさでまた感じたくなったというか。
最近職場の大きな環境の変化が続いてちょっと疲れていたのと、ゲームやテレビに食傷気味になっていたので、あらかたのストーリーが映画で頭に入っていて、且つ読みやすくて、没頭できそうな作品だったので積ん読本のなかから「何者」をチョイスしました。

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

映画のキャスティングがハマりすぎていたのか、キャストのイメージ像で話を読み進めています。
結末を知っているのに、ざわざわと胸さわぎがしてしまう。朝井リョウに完全に喰われています。

それにしても見流すことができた映画版と違って、一字一句しっかりと読めてしまい、さらに好きに戻って読み直せる小説だと、なおさらにキャラクターたちのtwitterのつぶやきが、ヒリヒリと心を擦ってきます。ああもう紙やすりみたい。
わたしも数年前にしまい込んだ就活時代の自分を、今さらながら引っ張り出してサンドバッグにされているようで。
恐ろしい作品です。そして怖くて、でもおもひろい…本当に恐ろしい。
この本を読み終わったときには、またあの映画を見終わったときのように慄いているかもしれないと思うと言葉に詰まります。

夜にしっとりエド・シーランを聴いているのに、頭の中ではぜんぜんしっとりなんてしていません。
寝る前に悪影響な気はしつつも、手が止まりません。



なのでいったん小休止も兼ねてこの記事を入力しているところです。

はやくアナザーストーリーの「何様」も文庫本で出てほしいところです。


調べてみると映画「何者」のディスクがもう来月に販売されるとのこと。

何者 Blu-ray 豪華版

何者 Blu-ray 豪華版

また見てもいいかも。。けれどちょっと精神的につらい。
こういう作品を1回見てズシンと来てしまうと、もう一度見るためにはなかなか勇気が要ります。
今回小説を読む気になった「怖いもの見たさ」という感覚が大事かもしれません。



かたや同時期から上映している「君の名は」はまだディスク化の話が聞こえてこなくて、首を長くしている状態です。
現在進行形で国内でも上映中のところがあるのでまだ先なんだろうけど、まだかなあ…と本当にちまちま公式サイトをチェックしています。
はやくしないと5回目を見に行ってしまいそうです。

目が冴えてしまったので



こんばんはアオ子です。

1回更新し始めるとブログって書きやすくなるものだなあと実感しています。
そしていったん止めてしまうと、なかなかタイミングを逃してしまいがち。

頭のなかでこれを書こうあれを書こう、これを書くならその前にあれを書いたほうがいい、とか、いろいろとタイミングをはかっている内に、ずるずる先延ばしになってしまう癖があるなあと、この1ヶ月以上エントリーを停滞させてかんじていました。

どんな自分でいよう、
どんなテンションで、
どんな理想のブログにしよう、
そんなことを考えれば考えるほど。

なので思いついたときに思いついたことを書くことが、やっぱり大切だなと思い改めて、いまベッドの中でスマホを触っています。

適切な情報を、適切な量で、わかりやすく客観的に、しっかりと日々ブログを書いている方たちは本当にすごいなあと感服です。

昔からプライベート用の日記は思いつくままに書いていました。
けれどこのブログを始めてからなんとなく人目を気にしてしまって、自分がそそられ日記というタイトルをつけてしまったこともありますが、なんだかブログタイトルに引っ張られがち、無意識な心構えとして形式的になりがちでした(そんなにたくさんの記事があるわけでも、文字数が多いわけでもないのですが)

ぜんぶいちから書き直したいなあ、なんてしみったれたことをよくよく考えたりもしましたが、
4月の年度始め。
年明けの気持ちを新たにとはまた違いますが、
なんとなくそんな風に、
自分のやりやすい形を、もっと模索していきたいと思います。

ちゃっかり2月で開設1年をむかえているのですが、まだまだ未熟なブログです。

アオ子というわたし自身も、まだまだまだ。
もっと素直なわたしでいこう。

そんな夜でした。



(冒頭写真は、日本橋のコレドにて映画「シング」を観た帰り、風に泳いでいた優雅な白いひらひらです。)

わたしもいつかは高校生だった


お久しぶりです、アオ子です。

先日、何年かぶりに高校時代の先生方と、同級生に会いました。
お世話になった先生が、65歳で教員生活に終止符を打つということで、お祝いの集まりを友人に開いてもらいました。
当時の生徒と担任の先生数名と。

そんな帰りの電車で、酔い覚ましの帰り道で、ふつふつと色々なことを思い返して、ついつい切なくなってしまったのです。



なかなか都合が合わなくて、これなかった生徒たちのことを想ってさみしがっていたこと
担任の先生たち同士でなんだかんだまだ繋がりがあることや、
当時の裏話で先生が生徒を守っていたこと、盾になってくれていたこと、そのほかいろんな事情があったこと。
話を聞きながら楽しかったりうれしい反面、いろいろな話を聞くたびに、なんだか切なくなってしまって、
わたし達が高校を卒業して、もう10年以上も経つというのに、名前や話を覚えていてくれていることがとてもありがたくて。

かなり高校生活に思い入れがあるので、ほんとにほんとに良い会でした。
先生方もそれぞれに思い入れがあると話されていて、それを共有できる年齢になれたのも嬉しかった。

先生がもう教鞭には立たないのだと思うと、それもまた切なく。
実はわたしは先生の担任クラスでもないし、先生の授業も受けたことがなくて、一度でいいから授業を受けたかったなあという思いもある。
代わりに委員会ではかなりお世話になったので、そのおかげで今のわたしがいてもおかしくない。

どちらかといえばタモリさんのような飄々とした雰囲気で、そこがまた大好きで、いつまでも元気でいてほしい。


それからもうひとつ、高校時代はいまいち距離が縮められず、できれば関わりたくないと思っていた先生が、この歳になってようやく楽しく話せるようになれたのが嬉しかったです。
誤解を与えやすい先生であることは間違いないけれど、いま話を聞いてみればそれもまたやる気と愛情だったのだと実感します。



先生たちを前にすると、たちまちわたしは高校生になる。